従軍慰安婦の展示が・・・
2008年 08月 24日
8月23日、生活クラブ小川支部・熊谷ブロック合同平和学習会で、埼玉県平和資料館に行っててきました。
展示がないところが、あります。
前に来たことのある友達が、ここに従軍慰安婦の展示があったんだよと教えてくれました。
上田埼玉県知事の「従軍慰安婦はなかった」発言で、撤去されてしまいました。
この日は、、戦争中の体験を聞く会で、蘆田央子(あしだなかこ)さんの話を聞いてきました。
「戦時下に受けた教育と戦争体験」という題でした。
小学校のころは、東京は平和で満ち足りた生活でした。
そのような環境の中で、子ども達に戦争を意識させたのが、「今日も学校に行けるのは兵隊さんのおかげです・・・」等の歌、教育勅語、神国日本史話、慰問袋、梅干弁当だったと語り、会場の高齢な参加者と歌ってくれました。
高等女学校のとき、合唱コンクールの課題曲は、「婦人従軍歌」でした。
歌詞の中には、「生臭く」「くれない染めし草の色」というような生々しい言葉が出てくる悲惨な情景の歌を、いかに美しく歌うか練習しました。
コンクールも水泳競技も、みんな戦争に関連付けていました。
戦争に役立つ人間を作るように教育されました。
83歳とは思えぬ張りのあるお声でした。
8月15日終戦の日、天皇陛下と亡き父上に「申し訳ありませんでした」と紙に記して心を静めた。
多くの日本人が、二重橋の前で膝をついて頭を下げた。
そのように導いた力、それが何だったのかを考えたい。
そのように語ってくださった蘆田さんは、戦時下の国の子どもの絵を集め、「国際児童画展」の開催に尽力していらっしゃるとのことでした。