いまここに在ることの恥
2009年 01月 23日
辺見庸著
毎日新聞社発行
2006年4月27日夜、毎日新聞社東京本社地下「毎日ホール」で行われた
辺見庸講演会
「憲法改正にどこまでも反対する」
を改題し講演草稿を大幅に修正、補充したものです。
最初は、辺見庸が見てきた逝くひとびとの描写が続く、
息絶える前からハエが赤ん坊の顔面で交尾し眼窩(がんか)に産卵したりした。
誰かが斃(たお)れると鳥は辛抱しきれず、いっせいにざわざわと動きだす。
そうしたことから常に一線を画し、空調の効いたホテルで原稿を書いている。
そうしたことへの恥辱。
読んでいると辛くなってきた。
そして後半、私ははっとした。
「内面の抑止メカニズム」
「この暴力組織は外在するものだけでしょうか。私はそうは思わないのです。それは、じつはわれわれの内面の抑止機能、内面の抑止メカニズムと関係がある。この監視社会は、躰外のカメラが24時間われわれを見はっているだけでなく、われわれ自身がわれわれの挙動を絶えず監視しています。つまり、外部の見えない暴力組織と、われわれ自身躰内の神経細胞の間には、意外な共犯関係があるといわざるをえない。そしてそこには、私の表現によれば、<無期限の見えない実定法>が伏在してると思うのです。」
私はごく最近、この「内面の抑止メカニズム」を作動させてしまったのです。
いまからでも遅くないので、ちゃんとしようと思っています。
堤未果が、アメリカの友人の言葉といって紹介していました。
本当の敵は、私たち自身の無知と無関心と諦めだと。
私は、この自己抑止を加えたくなりました。
辺見庸は、2004年3月14日公演中に脳出血でたおれ、、躰の右半分が思うように動きません。
けれども、躰をかけて反対する覚悟をしています。
辺見庸はこんなふうに書いています。
「私はデモにも行く気でいます。間違いなく憲法は改正されることでしょう。でも、どこまでも反対します。この国の全員が改憲賛成でも私は絶対に反対です。・・・・・他者のためではありません。・・・「のちの時代のひとびと」のためでも・・・つきるところ自分自身のためなのです。」
辺見庸がいまだに心を揺さぶられるという
ブレヒトの詩
無論ぼくらは知っている
憎悪は、下劣に対する憎悪すら
顔をゆがめることを
「もう居心地のいいサロンでお上品に護憲を語りあう時代はとっくに終わっている。一線を超えなければならない。・・・・・・そのために指の先から一滴でも血を流す気があるかどうか・・・」
私は、これから自分に問いかけ続けていきます。
でも、すぐ忘れそうですが。
私が忘れられない1冊、『もの食う人びと』の著者。